権利と義務
※今回のお話は結論が出ないのでモヤモヤしますことを予めお伝えしておきます。
百貨店出身の中小企業診断士madmaxです。
年が明けて、心機一転、ダイエットを再開しようとウォーキングを始めました。
亡くなった父が長年糖尿病を患っていたので、私も二の舞になってしまっては顔向けできないと思ったことが大きいです。
さて、ウォーキングをしていて気づくのは、すれ違う方の中でマスクをしている人、してない人、していても鼻が出ている人がいることです。
そこで、ふと思ったことがあります。
これだけコロナウイルスが蔓延し、テレビや新聞で騒がれ、緊急事態宣言が出ている中、マスクをしない人は、どういう考えなのかということです。
批判をするつもりはないのですが、単に、どういう考えなのかがよくわからないので、気になったのです。
私なりにいろいろ考えてみたのですが、次の4つを抽出できました。
①マスクをしない権利を主張したいのか?
②マスクは自分を守るものなので外であれば自分には感染しないと思っているのか?
③体の問題でマスクをすることができない?
④ほかに意図があるのか?
②については、今後マスコミや政府などが「マスクは人に移さないためにするものです」と強く打ち出すことで解消されるでしょう。
③については、やむを得ない事情でしょう。
④については、私にはわかりませんのでどうしようもありません。
そこで①について考え始めたときに「権利と義務」の関係を自分がよく理解していないことに気づきました。
なので、今回はこの「権利と義務」について考えてみました。
広辞苑によれば「権利」と「義務」は反対語として位置づけられています。
そして、権利と義務の使われ方を思い浮かべると「権利を主張するなら義務を果たせ」というような言葉が出てきます。
この言葉からすると、権利と義務は1対1の関係にあるように思えます。
例えば「ゲームをするなら勉強をしなさい」のような言葉にも権利と義務が1対1になっているような印象があります。
「ゲームをする権利を主張する」なら「勉強をする義務を果たせ」という関係です。
このことを、今回のマスクの件に当てはめた場合どうなるでしょう?
「マスクをしない権利」に対する義務は何か。
「人にコロナを移さないようにする義務」であるとすると、人に移さないことに有効だと言われているマスクの着用しない権利とは矛盾するような気がします。
そう考えると、権利と義務は1対1の関係であるということが間違っているような気がします。
ある記事によれば、民主主義の中での「権利」は「義務」の対価として認められているものではないと書かれていました。
つまり、義務を果たさなければ権利が与えられないというものではないということです。そして、権利が義務の対価ではないとしても、義務は義務として果たさなければ民主国家が成り立たなくなる、とありました。
それを踏まえると、やはり権利と義務は必ずしも1対1の関係である必要はないことになります。むしろ、1対1の関係にできないから難しいと言えます。1対1になる場合もあるし、ならない場合もあると考えるのが正しいのかもしれません。
ちなみに、日本国憲法に定義されている、国民の三大義務は勤労、納税、子供に教育を受けさせること、三大権利は生存権、教育を受ける権利、参政権です。
これを見ても、それぞれの権利と義務は1対1ではないのだとわかります。
だからこそ、民主国家は最低限の権利と義務を別々に定義するにとどめているのでしょう。そして、個別にどうしても守らなければならない権利、どうしても果たしてほしい義務についてはいろいろな法律で定義することになっているのでしょうね。
とすれば「マスクをしない権利」を主張する人は、法律で規定されない限りは別に何かの義務を果たすという対価を払う必要はないということになりますが、なるべく人に移さないという意識と行動は持ってもらいたいなぁと個人的には思います。
私も人から移されないように、手洗い・マスク・アルコール消毒をしたうえ、ウォーキングも頑張り免疫力をあげていきたいと思いました。