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鬼滅の刃と父の死


百貨店出身の中小企業診断士madmaxです。

最近、死の話題を多くアップしていましたが、その理由は私の88歳になる父が近々死を迎える可能性が高かったからです。

そして、先日、父は母と私が見守る中、安らかに旅立ちました。

前後して、『鬼滅の刃』が大ブームとなりました。

私もアニメはだいぶ前に全部鑑賞しおわっていたのですが、無限列車編以降のストーリーがどうなったのかは知らずにおりました。

これを機に、電子版を全巻買いして、一気に読み、12月4日に最終巻の23巻も父の看病をしながら読み終わりました。

そんなニワカ鬼滅の刃ファンですが、全部読み終わって私が受け取ったメッセージは以下の通りでした。

①今自分が生きていられるのはいろいろな人々のおかげである

②生物としてこの世に生を受けた以上自分が肥やしになって次世代へ繋ごう

③自分の家族や心を許した友人を大事にして、時には自分を犠牲にして守ろう

④人にはそれぞれ(敵対する人も)いろいろな背景、価値観、歩んできた人生があるので多様性を受け入れよう

⑤あきらめずに取り組み続ければ自分が進化し、光が見える

⑥伝統を重んじつつ、創意工夫で新しい技術を生み出そう

これって、どういうことだろう?と考えたのですが、人として生きる上での真理なのではないかと思いました。

世界がギスギスし、コロナが発生して、経済的格差が大きくなり、弱者は見捨てられ、誰もが自分のことを中心に考えてしまう世の中になっています。

そんな中、けなげに人として生きる上での真理を体現してくれる炭治郎の姿が真理だからこそ、人の心の奥底に強く訴えかけたから、鬼滅の刃が爆発的なヒットになっているのではないかと個人的に考察しました。

さて、私事ですが、昭和6年に生まれた父も第二次世界大戦の中、間近でたくさんの人が死んでいく体験をし、姉が焼夷弾で腕に大やけどを負うなど、理不尽な死が身近にある環境で子供時代を過ごしました。

戦後もしばらくは満足に食事もできませんでしたが、祖父母の愛を受けて何とか生き延びて大学まで卒業し、就職難の中、就職しました。

13年の海外勤務中に母と結婚し、私が生まれましたが、直後に自身は高熱によって糖尿病を患いました。日記には「こんな病気に負けていられるか」と書かれていました。

彼にとっての鬼は糖尿病という病でした。

その後、勤めた会社が倒産し、倒産の後処理を終えた後、再就職して家族を養いました。

無事に定年まで勤めあげ、定年後も別の会社に勤めて65歳までシニア社員として働きました。

65歳からは完全引退し、母との旅行に行ったり、畑仕事にいそしんだり、ジムに通うなど、悠々自適に暮らしましたが、糖尿病との戦いは50年に亘り、晩年は散歩に行っては救急車で運ばれる日々でした。

昨年末に救急車で運ばれたのを最後に病院における寝たきり生活が始まりました。認知症も進み、その瞬間のことしか認知できなくなりましたが、幸い家族の顔は覚えていてくれました。

今年の夏には右足が壊疽してしまい、余命1か月以内と宣言されましたが、それでも父は命の火を燃やして戦い続け、先週12月5日に私と母に見送られながら天国に旅立ちました。

私は彼のこういった人生を振り返るにつけ、鬼滅の刃のメッセージがかぶってきて、「彼の人生はまさしくリアル鬼滅の刃だったんだなぁ」と感じてしまいました。

鬼滅の刃の23巻において、生き残った人々の子孫が幸せに暮らす姿自体が炭治郎たちの生きる理由だったんだろうなと思い、祖父母から父母、父母から私、私から息子と脈々と繋がれているバトンの重さに気が引き締まる思いがしました。

子供がいてもいなくても、人として次世代の人たちが幸せに暮らせるように今を一生懸命生きぬいていくことが、人としての真理だと私は思います。

とりとめのない記事になってしまいましたが、ご容赦ください。

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