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外国語学習 その後

皆さん、こんにちは。

おじさんと若者のコミュニケーションを見つめるモ~です。

 

今年の1月から台湾華語を習い始めたお話を以前させて頂きましたが、

今回は、その後どうなったかというお話です。

 

サボらないために選択したスクーリングですが、これが大正解でした。

というのは、

① 毎週1回必ず授業があるので、自然と復習をする習慣がついた。

② 授業のある日は仕事を早く切り上げ、また、仕事とは全く違う頭を使うので、 程よいリフレッシュになっている。

③ 学校近くの飲み屋を開拓できた。

などなど、いいことづくしです。

 

特に、どんなに忙しくても週1回学校に通うということで、仕事の面でより生産性を高くする工夫をしたり、逆に家でYouTubeで台湾華語のチャンネルを見ることに没頭することで頭を仕事から完全に切り離したりすることが出来るようになり、生活にメリハリがついてよかったなぁと思います。

また、学校が飲み屋の多いところにあるので、新たな居酒屋を開拓する楽しみも出来ています(笑)。

週末のスクーリングを夕方にして、学校近くの飲み屋をじっくり開拓するという新たなルーティン(?)も出来て、これまた気持ちのリフレッシュに大きく役立っているような気がするのです。

 

学習の面では、台湾人の先生から台湾で流行っていることを聴いたり、自分が関心あること(野球や音楽)について、色々と会話できることが本当に楽しくもあり、より一層学ぶことが楽しくなっています。

とはいえ、まだまだ初心者でまともな会話もできませんが、YouTubeや映画の字幕などで習った文法や単語が出てくると、うれしいものです。

また、知らない単語が出てくると、なんだろう?とすぐに調べるクセもついたような気がします。

 

学校では、季節に合わせたイベントとかも行っていて、これはタイミングが合わず行けていないのですが、今後、そうしたイベントにも参加して、語学学習者同士の繋がりなんかが出来たらなぁとも考えています。

 

というわけで、外国語を学び始めて半年近くたちましたが、結果として今も楽しく学び続けています!

同じ学校に通っている人のレベルが高すぎて、続けていたらあんなふうにしゃべれるかなぁとか思いながら、ゆるゆるとおじさんのペースでこれからも続けていこうと思います。

独立をするということ

百貨店出身の中小企業診断士 madmaxです。

オレユニさんが「独立をしないということ」というタイトルで先週アップしたので、自分は「独立をするということ」ということを話してみようと思います。

私は「資格をとったら独立をしなければならない」などとは思っていません。

そもそも、自分の人生なので「どうするか?」は人それぞれでよく「せなばならない」などと誰もいう資格がありません。

なので、オレユニさんの考えもオレユニさん的に正解ですし、これから語る私の独立感も正解、その他の方の考えもすべて正解なのだということを予め申し上げておきます。

さて、私はなぜ独立したのか?

理由は4つあります

①重度の糖尿病を50年患ってきた父の認知症が進み母を助ける必要があった

②息子が私大薬学部に進学し6年間で1200万円の学費が必要になった

中小企業診断士の資格を取ったのでその資格を活かして仕事がしたいと思った

④100歳まで生きても何とかなるように老後の資金確保をしたいと思った

独立するためにはきれいごとではなく、経済的安全性を確保することが必要です。

ですから、私は当時会社が提示していた割増退職金制度を利用しました。

その制度を利用して得ることができる退職金は父の面倒をみて、息子の学費を賄いつつ、診断士の仕事をしていけば老後も何とかやっていけそうだという額でした。

退職したのは2019年3月。

①については、退職日以降、よく低血糖発作で散歩中に倒れていた父を絵画教室に送ったり、かかりつけの病院に連れて行ったり、父を別荘に連れて行ったり、米寿のお祝いで温泉に連れて行ったりなど、これまで受けた恩をできるだけ返すことができるようにしました。米寿のお祝いをした翌月、散歩途中に倒れ、病院に搬送・入院となり、コロナの中で面会・退院もできずに認知症が進み、自宅に帰えることはできない体になりました。その後、2つの病院を転院し、最後はとても良い病院で迎えることができました。その間、母をほぼ毎日父の入院する病院へ送り迎えし、費用も私が全部持つようにしました。そして、90歳を迎える1週間前に天に召されるところまで一緒にいることができました。

②については、学資保険もかけて私大文系であれば2年分の金額もたまっていましたが、私大薬学部は年間200万円の学費がかかるため、入学金と初年度半期の学費で瞬時に溶けました。息子君もがんばってくれていて、学年上位10位以内に入ることで毎年10%の学費割引の恩恵を得ることができています。今、5年生で上半期の学費は支払済みなのであと350万円支払えばいいところまで来ました。

③については、独立開業したのが2019年9月でした。独立直後は先輩診断士が立ち上げた会社から11月に補助金事務局やコロナに関する経営相談窓口のお仕事で一定期間安定した収入をいただきました。友人からも研修講師のお仕事をもらったりすることもできました。その後、大学の非常勤講師、商工会における経営相談窓口、東京都の創業支援窓口、信用保証協会の専門家派遣、専門家派遣先からの民民契約など、本当に色々な方からお仕事を頂戴することができ、ここまで来ました。加えて補助金伴走型支援を行い、その先の顧問契約締結を目指しています。

④については、前職の会社で積み立てていた確定拠出年金に個人のIDECOで積み増し、退職金の一部を株式投資で運用しつつ、③でしっかり稼ぐことができれば何とかなると思っています。

ところで、③についてですが、よく「自分の売り・強みがなければ独立しても食っていけない」と言われます。

ところが、私には何も強みがありませんでした。

なぜなら、大企業の常としてゼネラリストとして育っていたからです。

キャリアとしては、デパ地下バイヤー9年、労働組合8年、百貨店物流10年というもので、特定のスキルを掘り下げるというには少ない時間でした。

この結果、サラリーマンとしては何でもできるのですが「独立したら何ができるのか?」に対する答えは持たないまま独立しました。

そのことでとても悩みました。

でも、自分ができることは、自分が過去に培った知識や少ないスキルを結集して、事業者様を支援することだけなのです。

自分の経験や知識から事業者様にいくつか提案できる案を提示して、その中から事業者様がやりたいと思ったことの実現を誠心誠意手伝うことしかできません。

その中で気づいたことがあります。

1つは、事業者様のために誠心誠意頭をひねって行動することで事業者様の信頼を得、それが次の仕事につながること

2つは、ゼネラリストではあるが、それぞれのパーツを分解して必要とする人に訴求することでその領域ではお役に立てること(例えば、デパ地下バイヤーの経験は食品製造業・小売業の販路拡大につなげる、物流業務改善の経験は物流会社の生産性向上につながる、人事部長の経験は色々な企業の人事賃金制度構築や労務管理支援につながるなど)

この2つを続けていくことでお客様を増やし、収入を確保していければと思います。

成功したかどうかを評価するのは自分自身であり、成功するために行動するのも自分自身です。だから、結果は成功しかないのです。これからも私は自分が死ぬ時に「悔いなし。成功した。」って思えるように生きています。

それではまた。

 

 

 

 

 

”独立をしない”ということ


こんにちは、オレンジ色のユニフォームです。

今回は診断士としての独立について自分の考えをかいてみました。
診断士に合格したころに比べると、随分と独立に対する価値観とサラリーマンを続ける価値観は変わってきたと思います。
#あくまでも個人の考えとしてお読みいただければと思います

泣いて止められた独立

ボクが診断士の資格を取得した当時(2006年)は、

診断士業界では「独立をしなければ一人前じゃない」という雰囲気がありました。

特に独立診断士の先生方から異口同音にそのように言われた記憶があります

#ボクの場合がたまたまそうだっただけかもしれません

 

ボクも合格直後は「はやく独立しなければいけない」と考えていました

#ちょうど職場での人間関係がうまくいっていないことも背景にありました

#おそらくハシカにかかったような感じになっておりました

 

しかし、ドロンチョ様に「独立を考えようと思っているんだけど」と切り出した際、

泣いて止められたこともあって、合格後すぐ独立の夢は簡単に潰えました


ドロンチョ様の主張は次の通りでした

・娘たちはこれから学費やらでお金がかかる時期になること

・勉強しているときにはなにも言わなかったこと

・今度は私のお願いを聞いてほしいこと

 

これにより、娘たちが大学を卒業するまではサラリーマンを続けることが必要になりました

#次女は当時中学1年生だったので独立は早くても10年後という見通しでした

 

この話を独立診断士の先輩に話をしたところ

 

「オレユニさん。嫁さんも説得できないヤツはコンサルタントなんてできないよ」「独立なんざやめておきな」

 

と言われてしまいました。

 

また、違う独立診断士の方からは、

 

「独立を選択するしかない場合に限って独立するほうがいいよ」「問題なくサラリーマンをやっているなら、あえて独立することはないですよ」

 

と言われました。

 

合格から17年たちました

 

時はすぎました

 

娘たちはすでに大学を卒業して、社会人となり、扶養からはずれました

次女は結婚もして、立派に家庭をつくっています。

 

一方、ボクは60歳をすぎました

そして、依然として同じ会社に勤めています

#職場や職種は変わりましたが

 

現在、独立することはほぼあきらめています

#ただ、自分からわざわざ選択肢を狭める必要もないので、ほぼあきらめている、という表現にしています

#この表現がウザかったらゴメンなさい

変化を好まない、挑戦する心を忘れたヘタレ野郎と思われても構いません

自分なりに考え、答えをだした結果ですので

 

サラリーマンを継続した理由

 

外部環境と内部環境の変化が大きな理由です

 

外部環境と変化


■定年延長制度

ちょうどボクが60歳になる年から、勤め先の会社で定年延長制度が新規で導入されました。

それまでは、60歳の定年を迎えると再雇用扱いとなり、スタッフという役割で簡単な仕事をするという職種につかなければなりませんでした。

#正社員ではなくなるため退職扱いとなります

給与もコンビニのアルバイトと同じ程度と聞いていました。

 

それが定年延長制度になると正社員のまま維持となり、給与は減るものの、ゆるやかな減収という感じでした。

職種は、間接部門ではなく、お客さまの現場の最前線で執務する必要があります。

#現場の最前線はキツイと思われる方もいるかもしれませんが、ボクとしては現場で、きったはったをやっているほうが向いている性格なので苦にはしておりません

 

■社会環境の変化

2020年からのコロナ禍や社会環境の変化により、これまでの価値観が変わってきました

これにより、これまで独立することによるアンドバンテージがそれほど大きくなくなり、サラリーマンとの差が縮まってきたように感じています
#勤め先の事情によって差があります

#あくまでもボクの場合の例です

 

例えば、次のようなものがあげられます

痛勤地獄

ビフォーコロナ:満員電車で毎日朝早くから会社に行かなければならない

アフターコロナ:テレワークが導入されて毎日会社に行かなくてもよくなった

 

・スーツからカジュアルへ

数年前までは職場には当たり前にようにスーツとネクタイ姿が必要でしたが、
ビジネスカジュアルでよくなりました。

スーツとネクタイは何年もつけていません

#逆に独立してしまうと、スーツとネクタイが必要となる機会が多くなるのではないでしょうか

#スーツとネクタイが苦にならない方もいると思いますので個人的な価値観での評価です

 

・残業とか休みに対するスタンス

驚くほど大きく変わりました

ボクが若いころでは考えられないほどのインパクトがあります

SNSの普及などで大杙の企業がブラック風評を恐れているのかもしれません

また、社会全体の風潮のあと押しがあったのかもしれません
現在、残業は少なく、休みは驚くほど取りやすくなりました

加えて、介護休暇とか育休の制度が年々充実してきています


・やりたいことは副業で
サラリーマンをやっていると自分のやりたいことが自分の意志ではできないことは変わっていません

#同様に、やりたくないことをやらない自由もありません

 

しかし、副業制度が導入され始めてきたので、やりたいことを副業で行うことは可能になりました

#ボクは特段やりたいことがないので、副業には手を出していません

#休みは自分の好きなことに時間を充てるようにしています
#やりたくないけれどやらなければならないことは我慢してやっていますが、我慢できないほどやりたくないことではありません
#独立しても、経理関係の書類の作成や提出、社会保険関係の対応、確定申告など、やりたくなくてもやらなければならないことはあると思料しています

内部環境と変化

■病気との関係

これまで病気という病気には無縁な生活をしていました

ところが60歳の年が聞こえてくると、身体にガタがくるようになりました

 

2年連続で胆石の手術をしたことを皮切りに、

歯周病で歯医者にかかり、

高血圧と高脂血症で薬を服用するようになり、

最近では両目の白内障の手術を受けました


体力の衰えは自覚できるレベルになっており、
無理がきかない状態にあることは十分理解しています


#独立していたら、と思うとゾっとする思いでおります

 

勤め先の割安な企業内保険にはいっていたことで、手術や入金の給付金をいただくことができました

#独立していたら企業内保険は辞めないといけなかったので、給付金ももらい損ねたことでしょう

■自分の腹の括り度

診断士で独立するということは簡単なことではないことは十分理解しているつもりです

準備もまったくできていないうやつが「独立したいから」といって独立できるほど甘い世界ではないと理解しています

独立診断士として営利活動をするために、サラリーマン時代から計画立てて準備を行ってきている方もいっぱいいらっしゃることは存じております


人脈の形成、商材の構築、営業ツールの準備、など、やらなければならないことは数多くあります

しかし、これまでボクはそのどれにも手を付けてきていませんでした

だから独立できないというわけでもないと思いますが、

一番大事な、独立してやっていく、という腹の括りがまったくできていない状態でした

この程度のやつであれば、到底通用しないとあきらめてしまったのです


まさに、「挑戦する心を忘れたヘタレ野郎」です

今後のスタンス

 

いつまでに、なにを、どうする、といった具体的なことはわかりませんが

一番の方針は、


「サラリーマンをやっていることのメリットを十分に享受しよう」

 

です。

 

ただ、辞め時はあると思っています

 

・自分が老害になっていると自覚したとき

・自分が貢献できていないと自覚したとき

 

は潔く退こうと思っています

 

その後、どうするのはまったく考えていません

最後までお読みいただきましてありがとうございます

(了)

住宅購入のお話(内見その1「感じる内見」の巻)

こんにちは、Mです。

住宅購入シリーズ、テーマはいよいよ「内見」に入ります。

 

「内見」とは住宅物件の中を実際に見に行くことです。

購入を決断するまさにその時に行うものというイメージですが、実は検討の段階によって「感じる内見」「決める内見」の2つに分かれます。

まず今回は「感じる内見」のお話。

 

1.「感じる内見」とは

「感じる内見」とは、住宅購入検討の初期の段階で、色々な種類の物件(戸建て/マンション、新築/中古、などなど)を見て、それぞれの住宅の特徴・雰囲気を感覚として掴むために行うものです。

「百聞は一見に如かず」「聞くと見るとは大違い」という諺は住宅についても同じで、文字情報や写真で想像していたことが、実物を見ると全然違っていたということは多々あります。

そのような頭の中の想像を、現実的な感覚に変えるためにこの内見をします。

 

なお住宅には以下のようにいくつもの種類があるため、「感じる内見」では色々なタイプを見に行って検討の参考にします。

[建物の形態]戸建て住宅/集合住宅(マンション、アパート)

[新しさ]  新築/中古(築浅、築古、リフォーム・リノベーション)

[地域・規模]郊外の広い家/都心の狭小住宅

[価格]   高級物件/リーズナブル物件

 

家を買った後から、何かのきっかけで「やっぱり(見ていなかった)あのタイプの家の方がよかった…!」と後悔しないためにも、より多くの家を見ておくべきでしょう。

とはいえ時間や手間の問題もありますので、現時点の自分の希望に近い物件から優先して、見に行ける範囲でも構いません。

 

2.内見で感じることの例

たとえば中古住宅の場合、築年数の古い物件は部屋の生活臭や壁のキズ・黄ばみ、バス・トイレの水アカや汚れなど、古くなるごとに目立つところが増えます。

「“築10年”ならそのまま住めるけど“築20年”の家にはちょっとリフォームが必要だな…」など、自分の中での線引きは、実際見てみないとわかりません。

 

都心部で多い、いわゆる「ペンシルハウス(細長い3階構造の戸建住宅)」は、チラシの情報だけなら「都内・駅近で戸建てが買える!」とおもわず食い付きそうになりますが、実物を見ると「隣家とくっつくかのような近さ」や「陽射しが入らない1階部分」「階段での上下移動の大変さ」などの住みにくさを肌で感じます。

 

「部屋からの眺望」も人により感じかたが変わることの一つです。

・高層マンション・タワマンの“遠くまで見渡せる景色”は素晴らしいですが、自分がそれをどの程度良いと感じるか。

・戸建てやマンションの低層階で道路挟んだ前のお家しか見えなくても気にならないか。

など価値観はそれぞれ、実際見てみることで自分が眺望をどのくらい重要視しているのかがわかります。

 

このような「感じる内見」をすることによって、住宅への希望条件が変わったり、より明確になったりします。
ですので、住宅検討のなるべく早い段階に行けるのがベターです。

 

3.内見をするには

内見をする方法は住宅の種類によって変わります。それぞれの具体的なやり方は以下の通りです。

(1)新築戸建て…住宅展示場、建売住宅

新築戸建て住宅の内見は、複数の住宅メーカー(ex.ダイワハウス住友林業、等)が集まる「住宅展示場」のモデルハウスで行います。

住宅展示場は、いろいろなタイプの戸建て住宅をまとめて見学できるのが便利なところです。

www.housingstage.jp

なお、モデルハウスではなく完成済の家を見たい場合は、不動産物件サイト(ex.SUUMO、HOMES、等)などで「建売住宅」を探してみてください。

 

(2)新築マンション…モデルルーム

新築マンションは、基本的には建物が完成する前に販売されるため、マンションデベロッパー(マンションの製造・販売会社。ex.三菱地所レジデンス、野村不動産、等)が公開しているモデルルームを見ることになります。

モデルルームは各マンションごとに設けられており、「南浦和 マンション モデルルーム」のように検索すると、希望エリアにある物件を見つけることができます。

 

(3)中古戸建て・マンション…不動産仲介会社

中古物件は、戸建て・マンションともに不動産仲介会社を通しての内見となります。

不動産物件サイトを見ると、物件ごとに仲介している不動産会社の情報が記載されていますので、そこに連絡をすると現地を案内してもらえます。


4.ポイントと注意点

内見にあたって細かな準備の必要はありませんが、もしその物件で確認したい点があれば、事前に簡単にまとめておきます。

そして当日見に行って気が付いたことや感じたことは、必ずメモで残しておいてください。

また、写真をたくさん撮っておくことも、以後の検討材料として役に立ちます。

 

なお、内見はできるだけ家族(特に購入の意思決定に関わる人)と一緒に行くことをお勧めします。

同じ物件でも人によって見方・感じ方は違うので、自分では気が付かなかった点を発見できることがありますし、お互いの希望やイメージをすり合わせる機会にもなります。

 

また、物件を案内してくれる不動産会社の営業さんには、まだ検討初期であることや、色々な物件を見て考えを整理していることなど、聞かれたら素直に答えて構いません。

すぐに買う人でなければ案内してもらえないということはありませんし、正直な検討状況を伝えた方が営業さんも適度なスタンスで接してくれます(それでも押しが強い人はいますが・・)。


以上が検討の初期にやるべき「感じる内見」でした。

次回はもう一つの方。検討終盤に行う「決める内見」についてご説明します。

 

昭和の仮面ライダーの思い出

こんにちは、kok(こく)さんです。

映画「シン・仮面ライダー」観てきましたよ‼️それも2回も‼️人によって評価が分かれる作品だと思いますが、僕はとても楽しめました❣️

その昔、「仮面ライダー」がテレビ放映されたのは1971年なので、僕が小学2年生の時ですね。当初、僕は「仮面ライダー」という番組のことを知らなかったので、実は第1話から観ていません。

僕がたまたまテレビを見ていて「仮面ライダー」に気づいたのは、たしか蛾の怪人の回でした。その時のストーリーなどはまったく覚えていませんが、おそらく、空が飛べる蛾の怪人と(バッタの改造人間なので)跳躍力に優れた仮面ライダーとの空中バトルが見どころだったんだろうな〜と思います。

番組が終わった後、僕と弟二人(うちは男ばかりの三兄弟です)は畳敷きの寝室にいって、壁に立てかけてあったマットレスに向けて、何度も何度もライダーキックをぶちかましました(笑)。ストーリーなどは覚えていませんが、仮面ライダーのアクションシーンを見てすごく刺激を受けたのを覚えています。

そして、かなりいい歳になってから見た「シン・仮面ライダー」。やっぱり、あの頃と同じような”熱”を感じました‼️時間があったら、もう1度観に行きたいな〜と思ってるぐらいです❣️

 

新入社員と私

こんにちは。

おじさんと若者のコミュニケーションをみつめるモ〜です。

 

今年も我が社に新入社員が入社してきました。

おじさんは毎年研修の講師を2時間ばかりさせてもらうのですが、毎年、新入社員がしっかりしてるのを感じとり、自分が新入社員のときを思い出し、反省しきりです。

 

そんな今年の新入社員で驚いたのは、リーマンショックを知らない人がほとんどだったこと。

毎年新入社員研修で、企業経営の話をさせてもらうのですが、リーマンショック時の話をしても、上手くイメージがわかないとのこと。

考えてみたらリーマンショックの起こった2008年は15年も前。

ちなみにiPhoneの発売も2008年だったはず。

彼らは物心ついたときからスマホが生活の中にあり、空前の不況時はまだ小学1年生だったということを改めて気づかされのでした。

 

また、身近な例としてあげた、競合で起こったプロキシファイトの話も8年も前の話で、これまたピンとこない模様。ジェネレーションギャップ!

 

というわけで、次世代の若者にホットな話題を提供出来なかったのですが、唯一(?)理解された話は、なぜおじさんがダジャレを言うのかという話です。

それは、「歳を重ねると、ダジャレを自制する脳の回路が緩んで、ダジャレを思いつくと言わずにいられなくなる。」というもの。

 

新入社員の若者たちの同情を一身に集め、私の今年の新入社員への講義も無事に(?)終了したのでした。

 

 

スタートレック:ディープ・スペース・ナイン

百貨店出身の中小企業診断士madmaxです。

今回は、スタートレックシリーズの『ディープ・スペース・ナイン』についてお話ししたいと思います。

スタートレック:ディープ・スペース・ナイン』は『スタートレック』シリーズの3番目のテレビシリーズで、1993年から1999年にかけて放送されました。

スタートレック・シリーズは、そのほとんどが惑星連合の星間調査船が宇宙を探索する旅に出て、そこで出会う様々な人々や文化、事件をストーリーにしていますが、ディープ・スペース・ナインは全く異なるアプローチで描かれています。

ディープ・スペース・ナインは地球が存在するアルファ宇宙域とガンマ宇宙域の境界線上にあるベイジョー星軌道上にある宇宙ステーションで、このような宇宙ステーションの9番目にあたります。

このシリーズでは、この宇宙ステーションで起きる様々な出来事がドラマの中心となります。当時の製作陣はかなりの冒険をしたといえるでしょう。

前回紹介した『ピカード』の基となる『新スタートレック』の終了後に始まったシリーズですが、ちょくちょく『新スタートレック』の登場人物が『ディープ・スペース・ナイン』に登場するなど、ファンをつなぎとめる工夫がされています。

あらすじとしては、爬虫類系ヒューマノイド「カーデシア連合」に侵略を受け、長年支配されていたベイジョー星がレジスタンスで独立を勝ち取り、惑星連合の支援を受けて復興をはじめたところから始まります。

基地の司令官として惑星連邦宇宙艦隊のベンジャミン・シスコ中佐が赴任し、ベイジョーとそれを支援する惑星連邦の橋渡しやカーデシア連合とベイジョーとの軋轢調整、ガンマ宇宙域を支配する勢力「ドミニオン」侵略を防衛するための戦いなど宇宙ステーションを訪れる異星人どうしの交流を軸に、物語が銀河大戦へと進んでいきます。

登場人物としてはベンジャミン・シスコ(司令官)、キラ・ネリス(ベイジョー側副司令官)、オドー(流動体生物・保安主任)、ジャッジア・ダックス(科学士官)、ウォーフ(戦術主任)、ジュリアン・ベシア(医療主任)、マイルズ・オブライエン(技術主任)、クワーク(バー経営)、ジェイク・シスコ(司令官の息子)がメインキャストです。

司令官はシリーズ初のアフリカ系アメリカ人になっています。これは推測ですが、このころからアメリカのエンターテイメントは人種差別を意識したキャスト配置を行ってきていたのだと思います。

また、異文化に対する許容度合いを広げるべきというメッセージも発信しています。上記登場人物にいるクワークはフェレンギ人という商売で儲けることが最上位の価値観であるという民族で、超女性蔑視でもあります。ただ、それを正義感だけで否定することは意味がないというメッセージです。

さらに、マイルズ・オブライエンは白人男性ですが、正直、見栄えはその辺のおじさんです。でも、おそらくエピソードで主役になる回数はほかのキャストよりはるかに多く、活躍します。これは人間は見かけじゃないというメッセージなのかもしれません。

スタートレックシリーズの素晴らしいところは、キャストそれぞれにフォーカスをあてたエピソードを展開するところです。

特にこの『ディープ・スペース・ナイン』は、登場人物のストーリーの作りこみを繊細に行っていますので、毎回毎回本当に楽しむことができます。こんなに質の高いストーリーが176話もあるのです。

ぜひ、みなさんも一度視聴してみてください。

それでは、さよなら、さよなら、さよなら。