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事実を客観的に捉えるクセ

みなさん、こんにちは。

オジさんと若者のコミュニケーションを見つめるモ~です。

 

先日、若手スタッフと話していて違和感を感じたことがあります。

そのスタッフは、とある会議で近況報告をしていたのですが、「〇〇だと思われます。」「〇〇のはずです。」という推定の話が多かったのです。

ふと気になって、「なんで、〇〇だと思ったの?」と尋ねてみたところ、「まわりの人に聞いて、みんなそう言っています。」とか、「〇〇だったから、ぜったい○○なはずです!」という答えが返ってきました。

 

それに対して、「みんなが〇〇だと話していた内容について事実は確認したの?」と聞いてみたところ、「いや、みんなが言っていたのでそうだと思っています。」と返答したので、急いでデータで事実を確認して見たところ、事実は全く異なる答えが出ていました。

若手のスタッフは周りからヒアリングした結果を事実として捉え、「周りがみんな〇〇と言っているから、そうに違いない」と思い込んでしまっていたのです。

 

こうしたことは、日常でもよくあることで、テレビや新聞が言っているから正しいと思い込んでしまうことは、よくあることだと思います。

しかしそうした報道内容も、必ずしも事実ではないということもあるのです。

 

例えば、こんなこともありました。

私が以前会社の仕事で、某経済新聞(日本のサラリーマンの多くが読むN社)の取材を受け、その後記事になったものを見たときに、私が取材で話したことと全く違ったように書かれてしまった経験があります。(とても小さな記事ですが。)

 

記事の内容については、事実を照らし合わせれば、それが報道された内容と異なるということがすぐわかるようなことではあったのですが、その新聞を読んだ人は、私がそのように話したと思い込んでしまったのではないでしょうか。誰もが知っている大手の新聞の記事なので信頼もされているでしょうし。

 

 そのときに、書き手が話し手の意図と違ったように捉えてしまったり、異なる見解を載せるということは、よくあることなのかなぁとも思ったものです。

 

それ以来、周りが言っていることが本当かどうかを客観的なデータを基に判断するクセをつけるようにしました。

メディアや会議での発言がすべて事実に基づいているわけではありません。それはそれで意図してそのようにしている場合もあるので、自分が何かを判断するときには、一旦事実を確認すると、より正しい判断が出来るようになるのではないでしょうか。

 

テレビや新聞、ラジオ、インターネットなど、今はたくさんの情報があふれている時代です。そのような時代だからこそ、そうした情報に惑わされることなく、客観的な事実と照らし合わせてから自分の考えを巡らせてみることが大事なのではないでしょうか。