Moreブログ 

ノウハウ・知識、笑い・癒しの提供により社会貢献をめざします

2020TOKYOオリンピックの観戦から気づいた3つの変化

f:id:moreblog:20210812165815p:plain


こんにちは、オレンジ色のユニフォームです。

 

オリンピックもようやく終わりました。

これで、心休まる日々を送れるようになります。

 

ボクは、オリンピックが開催しようがそれほど影響はない、と思っておりました。

しかし、オリンピックが始まると、テレビをみる時間が増えてしまいました。

 

日々のデイリーハイライトはルーティンにしていました。

オリンピック期間のSNSでの意見交換もにわかに活発になっていました。

 

そして、オリンピックが終わったら、なにかポカンとココロに穴が開いたような感じを味わいました。これがいわゆる“ロス”ってやつでしょうか。

 

さて、今回のオリンピックを観戦していて、いくつか気づいたことがあります。

そこで、この機会を使って、ボクが観戦を通じて得たオリンピックの雑感から、日本で、世界で、今なにが起きいている(起きようとしている)のかを、勝手に想像してみました。

 

審判の機能は人間から機械への置き換えが進んでいる

 

審判が右耳に手を当て、

首をかしげながらしばらくジッとしている

その後、にわかに両手で四角形を描く

 

このようなシーンをしばしば観るようになりました。

 

サッカーではVAR(ビデオ・アシンスタント・レフリー)と呼ばれているものです。

 

ついに機械が人間を裁くことが当たり前になってきました。

 

今回のオリンピックでこの機能が導入されていたのは、サッカーだけではありませんでした。柔道でも、テニスでも、バドミントンでも、フェンシングでも、レスリングでも、とボクが想像していた以上に多くの競技で導入されていました。

 

これは正直ビックリしました。

 

たしかに、テニスのイン/アウトを判定する機能は以前から導入されていました。

この流れが変わったのは、2018年のロシアサッカーワールドカップでVARが採用されてからだと思います。これで急に普及してきたように感じます。

 

「人間が審判をするからオモシロいのだ」と声高に唱える人もいますが、これらの人達は、早晩凌駕されてしまうでしょう。まるで、キャッシュレスが現金決済を凌駕しているように。

 

今回のオリンピックでは、すでにVARにアジャストしたプレーをする人がでてきたようです。この結果、競技自体のやりかたが変わり、これまで持っていたオモシロいと思われていた点が減ってしまうこともあるでしょう。しかし、一方であらたな楽しみからも創出されてくるのではないかとも思います。

 

オリンピックと関係ありませんが、大相撲でこれが採用され、厳密に審査されてしまったら、「行司軍配は東方力士に上がりましたが、両者同体ではないかと物言いがつき、協議した結果。両者同体とみて取り直しとなりました」という説明がグっとへってしまい、これはこれで面白みが少なくなることと思います。

 

あと、機械に置き換わるのは審判だけではないかもしれません。

やがて、競技者も人間から機械へと置き換わっていくのかもしれません。フフフ。

 

究極の自己表現の世界へシフトしている

 

オリンピック期間中にFacebookで次の記事を投稿しました。

 

今回のオリンピックで、刺青をしている外国選手が目につきます。男女問わず。以前はここまでではなかったように思います。若い日本の選手が感化されないことを願います。ラスカルとか堀米君とか橋本大輝とか。

#こんなこと言っているのは年配者だけなのか

 

コメント欄には刺青に対する賛否が分かれていた感じがします。

 

あらためて、刺青のことをボクなりに整理してみました。

 

刺青はハミダシものの烙印

刺青は真っ当な人と区分けできる不可逆的なサイン

社会への反抗ポーズ

体制への批判アピール

 

これまでボクが刺青に対してのイメージです

 

それが今回のオリンピックで多くの人が普通に刺青をいれていたのをみてビックリしました。

 

刺青は先のイメージではなく、自分の体を使った究極の自己表現手段ではないか、と考え直すようになりました。

 

刺青をしている人をみると、アジア以外の国や地域で普通になっている気がしました

逆もまた真なり、でアジアではまだ異常であることを示唆しています。

 

勝手な想像ですが、個人主義の地域・国では自己表現は普通になり、それ以外のところではまだまだ普通じゃないのではないか。つまり、他人がやっていることに気にしすぎない国や地域では、刺青は普及し、一方で、同調圧力の強いところでは、なかなか普及しない、という構図なのでしょうか。

 

まぁ勝手な想像です。

 

性差という概念は大きな影響をもたなくなりそう

 

柔道の試合をみていて驚いたことがあります。

審判を女性が行っていたのです。男子の柔道を。

気にしないとわからないほど、溶け込んでいるように感じました。

 

競技の男女の順番も、あれもしや、と思うことがありました。

ゴルフの競技日程は、男性が先に行われ、女性が後だったのです。

これまでだったら、女性の競技のほうが先に行われ、後から男性の競技が、当たり前のように行われていなかったでしょうか。

 

こちらについて少々調べてみました。

女性の競技のほうが先に行われ、後から男性の競技が行われたものは、

ラソン、サッカー、卓球、ソフトボール/野球 

などでした。

他にもあるかもしれません

 

一方、男性が先に行われ、女性が後だった競技は、

ハンドボール、バレーボール、バスケットボール、ホッケー、スポーツクライミング 

などでした。

 

これらに加えて、体格の性差も少なくなってきたように感じました。

これは、女性の体格が男性に近づいてきたことが大きな理由と考えます

 

以前であれば、「女性なんだからおしとやかにしなさい」とか「嫁入り前のお嬢ちゃんが殴り合いなんかしちゃいけないよ」とか言われ、着用するものは、「女性らしくユニフォームはスカートを履かないといけない」とか「ビキニじゃなきゃ反則負けだよ」とかのヘンテコ規則が残っていたりする競技がまだあります。

 

これに対して、卓球やホッケーなどは、スカートは履くものの下はスパッツ着用が当たり前になってきています。とくに水泳やバレーボールの対応は早かったと思います。

 

体操のレオタードにドイツの選手団が反対したように、トレンドは確実に変わってきています。

おそらく次回のパリオリンピックから、レスリング、体操、ビーチバレーは規則の見直しがあるかもしれません。


そもそも、今回のオリンピックは「ジェンダー平等」というテーマを掲げていたそうです。このため男女混合の種目が増えたという記事を目にしました。

このテーマを掲げたことも大きな影響があったのかと思います。

 

さいごに

 

開会式と閉会式はなんともつまらなく、無駄な時間を過ごしてしまいまったと後悔しています。挙句の果てには、何十年ぶりに校長先生の話を聞く羽目になりました

競技以外のおまけのようなものへのお金と時間の使い方は、ゼヒとも変わってほしいと思いました。

それと、テレビアナウンサーのがなり声もウルサいだけだったので、音を消して視聴することがたびたびありました。これもどうにかしてほしいものです。

 

さいごに、オリンピックを観戦していて、自分の涙腺がもろくなったことを改めて感じました。選手たちの頑張りに何度も泣かされました。

オリンピックとともに自分自身も変わっていくのですね。