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なにもしないでものを考える時間の大切さ

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こんにちは、Mです。

先日、他部署の仕事のお手伝いで通行量調査をしていた時のこと。街中でイスに座って、歩く人の数をカチカチ数えるおなじみの仕事ですが、配置されたのははほぼほぼ人が通らない場所でした。

 

カチカチ(計測器)も押せず、本やスマホをみたりもできずで「うーん、暇だな」と思いましたが、そのうち頭の中でいろいろと考えごとをしていました。

仕事のこと、会社の組織とメンバーのこと、家族のこと、やりたいと思っていること、自分のこれまでと将来のこと、等々…。

日常生活で横に置いていた諸々が、するすると頭の中を流れて、うまい具合に整っていったのです。

 

ふと、こんな風に「なにもしないでものを考える時間」は久しくなかったと気がつきました。

ふだん何か特定の仕事や問題のために考えることはあっても、それは「さあ、これについて考えよう」と、目的のために意識的に頭を動かす作業で、「するする」というより「グイグイ押し込む」感じです。

また、移動中やお店・銀行・病院などの待ち時間というタイミングもありますが、スマホや本を見たり音楽を聴いたりと何かしらしている時間になっています。

本当にフリーで「考えるだけ」の時間というものはなかなかありませんでした。

 

私は時間貧乏性な性分のため、なにもしないでいることが勿体ないと思いがちでしたが、先日のその時間は、自由にものを考えられる豊かで有意義な機会になりました。

これからは「なにもしないでものを考える時間」を、あえて意識的に設けようと思っています。

 

…ただ、↑という話を一緒にやっていた同僚に話したところ「そうすか?やー、わたし暇すぎて前のビルの窓の数ずっと数えてましたよw」と、なにもしないでものも考えてなかった様子。

どうやらなにもしないでものを考える時間の大切さは、人それぞれなようです。。

 

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